第56章 子供たちを祝福される
「イエスはいつでも子供を愛されるお方であった。イエスは彼らの子供らしい共感と、うちとけた気取らない愛を受け入れられた。彼らの純潔な口から出る感謝の賛美はイエスの耳には音楽にきこえ、狡猾(こうかつ)で偽善的な人たちと接触して心が重くなられた時、その精神を生きかえらせた。救い主はどこへ行かれても、そのおだやかな顔つきと、やさしく親切な態度によって、子供たちの愛情と信頼とをかち得られた。
ユダヤ人の間では、子供たちをラビのところにつれて行き、手をのせて祝福してもらう習慣があった。ところが救い主の弟子たちは、主が大事な働きをしておられるので、そんなことに邪魔されてはならないと思っていた。母親たちが、小さな子供たちをつれてイエスのところへやってくると、弟子たちは面白くない顔で彼らをながめた。彼らは、この子供たちがあまり幼いので、イエスのみもとにきても益を受けることはないと考え、主は子供たちがそばにくることをお喜びにならないと結論した。しかし主がお喜びにならなかったのは弟子たちのことであった。救い主は、子供たちを神のみことばに従って訓練しようとつとめている母親たちの心配と重荷を理解された。主は彼らの祈りを聞いておられた。主ご自身が彼らをみもとに引きよせられたのであった。 」
「イエスはいつでも子供を愛されるお方であった。」いつでも・・・時々ではない。
純粋な口から出る感謝の讃美はイエスさまの御耳には音楽に聞こえる。しかも、その精神を生きかえらされた。すごい!
イエスさまは、どこへ行かれても、おだやかな顔つき、やさしく親切な態度。。。
弟子たちは「面白くない顔」(^_^;)
弟子たちがイエスさまがお喜びにならないと思う事でも、実は弟子たちをお喜びにならないことがある。
イエスさまは母親の祈りを聞いておられる。そして引き寄せておられる。
なぜか、父親と書いていない(^_^;)
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