第22章 「あなたがたの手で食物をやりなさい」

「だが群衆は、天来の教師イエスの姿がみえなくなったとたんに、「イエスはどこにおられるのか」とたずねた。」

人々はイエス様を探している。あなたはどこにおられるか知っているだろうか。


「キリストが岸にお着きになる前に、群衆がイエスを待っていた。しかしイエスは、彼らに見られないように上陸して、弟子たちと一緒に人々を離れてしばらくの時間を過ごされた」

イエス様は見られないように上陸されることがある

「するとイエスの心は、同情に動かされた。邪魔をされ、休息を奪われても、イエスは短気を起こされなかった。」

「人々は、祭司たちと役人たちからは何の助けも受けなかった。しかしキリストが群衆に救いの道をお教えになった時、いやしを与えるいのちの水がキリストから流れ出た。」

聖書を語っていても 何の助けも受けない場合がある。イエスさまには命の水がある。

「彼らは恵み深いことばを聞いたが、それは単純で、率直で、彼らの魂にとってギレアデの香油のようであった。」

イエス様の御言葉は複雑じゃない。

「その日は彼らにとって地上の天国のように思われ、」イエス様と一緒にいるときは天国のように思われる。朝から日が沈みかけるまで、食事もしないのに、何時間立ち続けても、、「1度も腰をおろそうと考えたことも」なく、赤ん坊を抱えていた母親もいたのに、幸せだった

何時間の集会だったのだろう。


「ついにその日もほとんど過ぎ去った。太陽は西に沈みかけていたが、まだ人々は立ち去りかねていたイエスは、終日、食事も休息もとらずに働かれた。イエスが疲れと空腹で青い顔をしておられたので弟子たちは働きをやめてくださいとたのんだ。しかしイエスは、まわりにつめかけている群衆から退くことがおできにならなかった。 」

イエス様は一日中食事も急速なしに働かれた。

イエスさまにはおできにならないことがあった。「群衆から退くことがおできにならなかった。」

「それからイエスは、弟子たちに、人々の秩序を保っためと、イエスがしようとしておられることがみんなに見えるように、50人か100人ずつの組にして草の上にすわらせるようにお命じになった。」

イエス様は秩序を大切になさる。またイエス様がしようとしておられることがみんなに見えるようになさる。


「人々に平和と幸福とを手に入れる方法をお教えになったイエスは、彼らの霊的必要と同じに、物質的必要も思いやられた。」

イエスさまは平和と幸福を手に入れる方法をお教えになられる。わたしはそれを知っているだろうか。

「キリストは真の必要を満たすことのほかには決して奇跡を行われなかった。しかも奇跡の一つ一つは、万国の民をいやす葉をもったいのちの木に人々をみちびくような性質のものだった。」

イエス様の奇跡の特徴

「弟子たちの手によってくばられた質素な食物には、いろいろな教訓の宝が含まれていた。用意されたものは粗末な食事だった。魚と大麦のパンは、ガリラヤ湖のほとりの漁師たちの家族の常食だった。キリストは人々の前にぜいたくな食事を並べることもおできになった。だが食欲を満足させるためだけに用意された食物は、彼らのためになる教訓を与えなかった。キリストは、この教訓を通して、神が人のためにお与えになった自然の食糧が正しく用いられていなかったことを彼らにお教えになった。ゆがめられた食欲を満足させるために作られるぜいたくな食事をしている人たちは、人の住居から遠く離れたところで、キリストから与えられた休みと質素な食事を楽しんだこの人たちのような喜びを味わったことは決してなかった。」

イエス様は直接ではなく、弟子たちの手をお用いになられる。

「興奮した長い1日のあとで、疲れと空腹とをおぼえているこの大群衆にとって、質素な食事は、キリストの力の保証であったばかりでなく、また日常の一般的な必要についてもキリストが彼らのためにやさしく心を用いておられることの保証であった。」

もし贅沢な食事を並べられたら、群衆は自分の家に、現実の生活に戻った時に、とても寂しい思い、悲しい思いをするだろう。しかし、イエス様は現実の生活に、その人のいる所に喜びを見出すことができるようになさった。

 

「もし今日人々が、創世当時のアダムとエバのように、単純な習慣のうちに自然の法則と一致した生活を送るなら、人類家族の必要は豊かに満たされるのである。想像だけの必要は少なくなり、神の方法で働く機会が多くなる。しかし利己心と不自然な食欲をほしいままにすることから、一方では有り余っているのに、一方では足りないために、この世に罪と不幸とが生じた。」

食糧危機 飢饉 飢餓が起こっているが、実際には十分にある

 

「だがキリストのみことばには、彼らの必要が満たされることが保証されており、 キリストは、彼らに、この世のよいものよりもはるかによいもの、すなわちご自身の臨在といういつまでも続く慰めを約束しておられる」

イエス様の御臨在は この世の 良いものよりもはるかに良い。いつまでも続く


「5000人に食物をお与えになったことによって、イエスは、自然界のベールを開いて、たえずわれわれの幸福のために働いている力をお示しになる。地の作物の生産に、神は毎日奇跡を行っておられる。」

神さまの奇跡は毎日ある。

「地の作物畑から毎日幾百万の人々を養われるのは神である。人は、穀物を管理し、パンを作ることに、神と協力するように求められる。そのために人は、神の働きを見落す。彼らは当然神の聖なるみ名にささげられるべき栄光を神にささげない。神の力の働きが、自然の原因や人間の手段のせいにされる。神の代りに人間があがめられ、神の恵みの賜物は利己的な用途に悪用されて、祝福ではなくわざわいとなる。」

神に栄光を帰せよ

「群衆に食べさせたあとに、たくさんの食物が残った。しかし無限の力のみなもとをすべて自由に用いることがおできになるイエスが、「少しでもむだにならないように、パンくずのあまりを集めなさい」と言われた(ヨハネ6:12)。このことばには、パンをかごに入れることよりももっと深い意味があった。これには二重の教訓があった。何一つむだにしてはならない。われわれは、この世で益となるものは一つものがしてはならない。人類を益するのに役立つものは何一つおろそかにしてはならない。地上の飢えた人々の必要を満たすものは何でも集めなさい。また霊的な事物にも同じ注意を払わねばならない。食べくずのかごが集められた時、人々は家にいる友人たちのことを心に思った。彼らはキリストが祝福されたパンを友人たちに分け与えたいと望んだ。かごの中味はそうした熱心な群衆にくばられて、まわりのすべての地方にはこばれて行った。これと同じように、ごちそうになった者は、魂の飢えを満足させるために、天からくだるパンを他人に与えるのであった。彼らは、神のすばらしい事がらについて学んだことをくりかえすのであった。何一つ失われてはならなかった。彼らの永遠の救いにかかわることばは、一つもむだに地面に落ちてはならなかった。」

「一つも」むだにしてはならない。おろそかにしてはならない。失われてはならない。無駄に地面におちてはならない。

「なんでも集めなさい」

捨てるような古いパソコンも、教会で配られる飴も フィリピンの山岳伝道伝道ではとりあいになる。

お土産が大切。学んだことを繰り返す必要がある。

「飢えた群衆の一時的な必要を満たされたキリストの行為の中に、ご自分のすべての働き人に対するキリストの深い教訓が含まれている。キリストは天父からお受けになった。彼は弟子たちにお与えになった。弟子たちは群衆に与え、人々は互いに与え合った。同じように、キリストにつながっている者はみな、キリストから天の食物である命のパンを受け、それを他人に与えるのである。」

人々は互いに分け合う必要がある

「イエスは、神にまったく信頼しきって、わずかなパンのたくわえを手にとられた。そしてキリストご自身の家族である弟子たちのために少しの分け前しかなかったが、イエスは彼らに食べるようにとはおっしゃらずに、人々にくばりなさいと命じて弟子たちの手に渡し始められた。」

イエスは彼らに食べるようにとはおっしゃらずに、人々にくばりなさいとお命じになられる

「人々の欲求が満たされてから、その食べくずが集められ、キリストは弟子たちと天の神から与えられたこのとうとい食物をとられた。 」

イエスさまと弟子たちは食べくずを取られる

「われわれはまた、他人に与える時にのみ受けることができる。われわれは、たえず与えるときに、たえず受ける。そして多く与えれば与えるほどますます多く受ける。こうしてわれわれは、たえず信じ、頼り、受け、与えることができるのである。」


与える時「のみ」受けることができる。

多く与えるとますます多く受ける 

「キリストのみ国を建設する働きは、どう見ても進展が遅く、不可能なことがらが前進を妨げているようにみえるけれども、それでもそれは前進するのである。」

福音は進展が「遅く見える」 しかし前進する

「彼は、すべての力のみなもとであられるキリストによりたのまないで、自分の重荷を団体におしつける危険がある。神の働きにおいて人間の知恵や数をたよりにするのは大きな間違いである。キリストのための働きにおける成功は、数や才能よりもむしろ純粋な目的と熱心によりたのむ信仰の真実な単純さにかかっている。」


「そのように、あなたが必要を感じている魂にかこまれている時には、キリストがそこにおられると知りなさい。キリストと交わりなさい。あなたの大麦のパンをイエスのもとに持って行きなさい。」

神さまの尊いお約束、よく思い出す、そしてその通りに叶えられるお約束です


 「この働きが神からのものならば、その完成のためには、神が自ら資金を備えてくださる。」なので神さまのお働きなら大丈夫。


、われわれは、どんなに見込みのない事情の中にあっても、われわれの働きは支えられ、他人にいのちのパンを与えることができる。 」

見込みのない事情もチャンス


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